私がフィギュアスケートを見るのをやめたのは、2010年に開催されたバンクーバー五輪だった。いわゆる、浅田真央選手とキム・ヨナ選手が熾烈な競い合いを演じていた時代だ。
決勝のフリーの時は、職場を抜け出して、近所の喫茶店で観戦したのを覚えている。
結果はご存知の通り、キム・ヨナ選手が金メダルを獲得した。難度の高いジャンプを軽々と楽しそうにこなす彼女の滑りは、見ていて安心感があり、007の楽曲に合わせた最後のポーズを含めて、多幸感のある内容だった。
一方の浅田真央選手は、高難度のジャンプに果敢に挑戦していき、一挙手一投足、指先からエッジまで、緊張感が漲るスリリングなものだった。しかし何より印象に残っているのは、身に纏う悲壮感だ。
先に滑っていたキム・ヨナが、世界最高得点を叩き出したことを彼女が知ったのは、滑走直前だったはずだ。十九歳の女の子が背負うには、あまりにも重すぎた。
そして私は、画面を通して伝わってきたその重さに耐えられず、それを最後にフィギュアを観戦することから離れた。
私はあらゆるスポーツの中で、フィギュアスケートは最も残酷な、業の深い競技だと思っている。速さや距離、高さを競う陸上競技などは、その結果は明確だ。コンマ単位でどんなに僅かでも相手を上回れば勝者となる。
しかし、フィギュアを含むいくつかの競技には、芸術点(現在の演技構成点)という項目がある。芸術点、という言葉が既に、芸術の定義から外れているように思えるこの項目は最初からあったものではない。